IT業界を舞台にした読み物シリーズの第七話。
前回のお話はこちらからご覧ください。
IT業界を舞台にした読み物シリーズの第六話。 前回のお話はこちらからご覧ください。 前回、高橋はシステム導入当時から現場を知る村田と出会いました。 そこで耳にしたのは印象的な言葉でした。 「システムが止まったんとちゃう。人が止まったんや」 二十三年前の障害。 その裏には、プログラ...
前回、高橋は二十三年前の緊急対策会議の議事録を発見しました。
しかし、その会議に本来いるはずの佐伯の名前はありませんでした。
会議ではなく現場にいた佐伯。
そして議事録に残されていた「橋本課長」という名前。
少しずつ過去の断片がつながり始めています。
仕事の合間や通勤時間など、肩の力を抜いてお楽しみいただければ幸いです。
第七話 見えない業務
「橋本課長、ですか」
高橋はその名前を何度も見返していた。
物流業務課。
橋本課長。
二十三年前の緊急会議の出席者。
そして誰かが後から赤丸を付けた人物。
翌日。
高橋はお客様先の担当者である井上へ連絡した。
「橋本さんという方をご存じありませんか」
電話の向こうで少し間が空く。
「ああ、橋本部長ですか」
「今もいらっしゃるんですか?」
「定年後に再雇用で来られてますよ」
高橋は思わず椅子から身を乗り出した。
まさか当時の関係者がまだ残っているとは思わなかった。
数日後。
高橋は再び物流センターを訪れた。
応接室に現れた橋本は七十歳近い年齢だった。
穏やかな表情をしている。
しかし目だけは鋭かった。
名刺交換を終えると、橋本は笑った。
「販売管理システムの調査らしいですね」
「はい」
「二十三年前の話なんて、よく掘り返しましたね」
「実はコードの中に妙なコメントが残っていまして」
橋本は少し興味を持ったようだった。
高橋は例のコメントを見せた。
// この先を変更するな
// 理由はいずれわかる
// 2003.12.17
橋本は黙った。
しばらくその文字を見つめる。
そして小さく笑った。
「佐伯さんらしいな」
高橋は身を乗り出した。
「ご存じなんですか」
「もちろんです」
「どんな方でした?」
橋本は即答した。
「変な人でした」
高橋は思わず苦笑した。
誰に聞いても似たような答えが返ってくる。
無口。
変わり者。
現場好き。
だが橋本は続けた。
「変な人でしたけど、現場を一番理解していたのもあの人です」
しばらく雑談が続いた後、高橋は本題に入った。
「二十三年前の障害について教えていただけませんか」
橋本の表情が少し変わる。
「障害、ですか」
「はい」
「私の記憶では、あれは障害じゃなかった」
高橋は一瞬言葉を失った。
「え?」
「システムは動いてましたから」
部屋の空気が少し変わる。
「でも出荷は止まった」
「だからみんな障害だと言った」
橋本は静かに言った。
「でも本当は違う」
高橋はメモを取る手を止める。
「何が起ったんですか」
橋本は窓の外の倉庫を見ながら話し始めた。
「当時、システムが切り替わった直後でした」
「現場は新しい帳票を使うことになっていた」
「本社もそう説明していた」
高橋は息をのむ。
帳票。
またその言葉だった。
「でも現場は違った」
橋本は苦笑する。
「誰も使わなかったんですよ」
「え?」
「慣れてなかったからです」
「間違えるのが怖かった」
「今までのやり方の方が確実だった」
高橋は佐伯のノートを思い出す。
慣習のため削除不可
「つまり?」
橋本はうなずいた。
「システムと現場が別々に動いていたんです」
沈黙が流れた。
システムは正しい。
入力もされている。
帳票も出力されている。
しかし実際の現場は、
それとは違う方法で出荷作業をしていた。
「そんなことが可能なんですか」
高橋の問いに橋本は笑った。
「現場は賢いですから」
「困ったら何とかする」
「何とかできる方法を作る」
「そして、その方法は設計書には書いていない」
高橋は黙った。
確かにそうだ。
システムの仕様書には、
人の工夫までは書かれない。
橋本は続けた。
「当時の問題はバグじゃなかった」
「現場が悪かったわけでもない」
「本社も現場も、それぞれ正しかった」
その言葉に高橋は反応する。
どこかで聞いたことがある。
システムは正しい
でも現場はもっと正しい
佐伯のノート。
まさに同じ意味だった。
「それで佐伯さんはどうしたんですか」
橋本は少し笑った。
「現場に来ました」
「毎日?」
「毎日です」
「会議にも出ず?」
「出てなかったと思います」
その答えを聞いて、高橋はようやく腑に落ちた。
会社では責任や報告の話をしていた。
佐伯は現場で仕事の流れを見ていた。
そして橋本は最後にこう言った。
「たぶん佐伯さんは気付いたんですよ」
「何にですか」
橋本は静かに答える。
「システムに存在しない業務があることに」
高橋は言葉を失った。
存在しない業務。
設計書にない業務。
システムが想定していない業務。
だが現場では、
当たり前のように続けられている業務。
その瞬間、
二十三年前の障害の姿が少しだけ見えた気がした。
しかし同時に、
さらに大きな謎が生まれる。
もし本当にそうなら、
なぜその業務は正式な手順として残されなかったのか。
現場では当たり前に行われていたはずなのに、
なぜ設計書にも仕様書にも存在しないのか。
そして、
なぜ佐伯だけがそれを問題視していたのか。
なぜ、そのコードだけが今も残り続けているのか。
モニターの中のコメントが頭に浮かぶ。
// 理由はいずれわかる
高橋は苦笑した。
「まだ、わからないことだらけですね」
次回予告
橋本から聞かされた「システムに存在しない業務」。
高橋は当時の運用フローを調べ始める。
すると、設計書にも議事録にも記載されていない”ある作業”の存在が浮かび上がる。
それは現場を支えていた重要な仕事だった。
次回 第八話「設計書にない手順」
※本作品はフィクションです。
登場する人物、企業、団体、システム、プロジェクト等は架空のものであり、
実在のものとは関係ありません。
ただし、システム開発やIT業界で働く人々に共通する想いや経験を題材として構成しています。
【読み物】誰も知らないプログラム(第一話)
【読み物】誰も知らないプログラム(第二話)
【読み物】誰も知らないプログラム(第三話)
【読み物】誰も知らないプログラム(第四話)
【読み物】誰も知らないプログラム(第五話)
【読み物】誰も知らないプログラム(第六話)
あとがき
システム開発の現場では、「仕様書に書かれていること」だけを理解していても十分ではないことがあります。
長年続いてきた仕事には、文書化されていない工夫や暗黙知が存在することも少なくありません。
今回登場した「システムに存在しない業務」も、そんな現場の知恵を題材にしています。
システムを作ることと、仕事を理解すること。
その違いが少しずつ見え始めてきました。