落し物が届く。

鍵

先日、子供が友人達とキャンプ場に遊びに出かけた時の話しです。どこかでパスケースを紛失してしまいました。パスケースには家の鍵や、交通系カード、学校で使用する大切なカード等が入っていたとの事で、各方面に電話したりカードの紛失届を出したりと、大変でした。

(2021年8月30日 企画推進室)

落し物が届く、ただそれだけの事

翌日、警察に届けを出しに行こうと思っていた矢先、バス会社から落し物の連絡がありました。

移動手段として使っていたバスの会社にも連絡していたのですが、落し物として届けられていたとの事です。

いろいろと大切なものが入っていただけに、見つかった事に安堵すると共に、届けていただいた方に本当に感謝の気持ちでいっぱいになりました。

言ってしまえば

「落し物が届けられた」ただそれだけの事です。

しかし、拾った方にとっては、届けてもたいして良い事がある訳でもなく、ただ「良心」に従って届けたという、それだけの事。

令和2年の警視庁の発表によると、証明書類に関しては73%が落とし主に返還されているそうです。

BBCの記事では、以下のような報告がありました。

ニューヨークと東京で落とした電話と財布を比較した研究では、研究者によって「失われた」電話の88%が東京の住民によって警察に渡されたのに対し、ニューヨークでは「失われた」電話の6%でした。

BBC 2020年1月15日の記事より引用

一方で、コンビニで売っているビニール傘は所有者のところにめったに戻ってこない事例などから、記事の中では「(日本人に)正直さが常に頭の中にあるとは限りません」とされています。

でも、こうやって落し物がきちんと戻ってきた時に感じたのは

  • 日本人って素晴らしい。
  • 自分も正直に生きよう。

という感情でした。

良心の大切さ

仕事や生活の中で、「良心の呵責」に苛まれる場面があると思います。

それはまだ、良心が生きている証拠ですよね。

良心は正しく使わないと曇ってくるそうです。

なんだか「道徳の授業」みたいですけど、「落としたものがちゃんと届く社会」や「困った人を皆で助ける社会」の方が、絶対に良いと思います。

これって、家族や友人関係といったコミュニティ、そして会社という組織にも当てはまると思いませんか。

以前、こんな記事をかきましたが

価値観は多様でも、真北は一つ/企画推進室

価値観が多様化する中で、「良心」に従って行動するという指針はぶれたくない、とあらためて実感しました。

「こまった仲間がいたら助けてくれる人」

皆から、そんな風に思われたら素敵じゃないですか?